694(持統天皇8)年、飛鳥から藤原宮へ遷都された後に志貴皇子(しきのみこ)が詠んだ歌がある。
「采女(うねめ)の 袖吹きかへす 明日香風(あすかかぜ) 都を遠み いたづらに吹く」(万葉集 巻1-51)
都がなくなってしまった寂しい飛鳥で皇子は、かつて美しい采女の袖をひるがえしていた明日香の風が、都がうつった今は、むなしく吹き抜けるばかりだ、と嘆いている。
さらに、藤原京は日本初の本格的な中国風の都城であった。飛鳥との違いは歴然。そして政治スタイルも、豪族同士が話し合って決めていたそれまでとは異なり、中央集権が確立された新しい時代へ。歴史や文化、社会の仕組みや価値観など時代全体が大きく変化した。それは戦前と戦後、はたまた明治維新前と後ぐらい、人々にとっては違いがあっただろう。
飛鳥と藤原京とでは、わずかしか離れていない。距離よりもむしろ、心理的な“遠さ”が大きかったのだろう。