結婚までのプロセスにはルールがあった。まずは名前を聞く。次に女性の家を聞いて何度か通い、男女の関係になる。そしていつの日からか夫婦として認められる。女性の方はといえば、一度は断るのが礼儀で、やりとりを繰り返すうちに結婚へとつながるようだ。ただし記紀・万葉や風土記の記述からそう考えられるが、いつから夫婦として認められるのかなど詳しいことは定かではない。
古代では、名前は魂に相当するものと考えられていた。本名は結婚相手にしか明かさない。知っているのは親のみ。
男性が気に入った女性の家に通うときは、女性の母親にバレないようにしなければならなかった。バレないように逢瀬を重ねる。まさに現代の若者たちと同じではないか。昔の人は貞操を守るというイメージだが、それはこの時代よりも後のこと。古代は性に対する考え方が現代とは違った。基本的に屋外で行われることの多い歌垣では、求愛歌の掛け合いがうまくいった男女が山の中へ消える、という話もある。
晴れて結婚したふたりはというと、現代のように同居するわけではないようだ。男性が女性の家に通うのだ。しかも一夫多妻制であったらしい。ゆえに、記紀・万葉でも、女性が男性を待つ歌が多い。
今日は来るか、明日は来るか—。愛する人をただひたすら待つのはつらい。募る想いを歌にのせ、健気に待った女性の気持ちを思うと、古代の結婚制度の切なさを感じる。