伊勢の皇大神宮(内宮)の祭神は天照大神。広大な宮域を誇り、年間に多大な参拝者を受け入れる神宮だが、天照大神の鎮座地と定まるまでには紆余曲折があった。
もともと天照大神は天皇の大殿内にお祀りされていた。ところが第十代・崇神天皇の御代に「神の勢い激しく、同床共殿に堪え難く」なり宮中より出すことに。託されたのは皇女の豊鍬入姫命(とよすきいりひめりみこと)。まずは笠縫邑(大神神社摂社・檜原神社とされる)に祀られ、後に倭姫命(やまとひめのみこと)がその奉祭にふさわしい地を求めて大和を出発した。
『日本書紀』(垂仁天皇25年)では、候補として立ち寄った地を宇陀笹畑から淡海(近江)、美濃と記す。やがて伊勢国にいたり「神風の伊勢国は(中略)傍国の可怜国(うましくに)なり。是の国に居らむと欲ふ」と大神がお伝えになったことで、ようやく旅の終焉を迎えたという。
この巡幸譚は『倭姫命世紀』などに引き継がれ、二十数カ所にも足跡を残す壮大な旅として描かれていく。元伊勢とは、こうして一時的に天照大神が祀られたとされる伝承地の通称。神宮の創祀を語る上で欠かすことのできないものだ。