三輪山西麓に東西約2.5km、南北約2kmに広がる纒向(まきむく)遺跡。2009年発掘の柱遺構は、3世紀中頃までの建物としては国内最大規模。「卑弥呼の居館か」と話題騒然となった。
纒向はヤマト政権発祥の地と考えられている。弥生時代に過疎地域だったにもかかわらず、突如として大集落が形成されたこと。集落の規模が同時期の他集落よりはるかに大きいこと。農耕具がほとんど出土せず、遺跡内ではいまだ田畑跡が確認されないことなど、政治的な意図のもとに「都市」が形成された可能性が説かれている。
また箸墓古墳を代表に纒向石塚古墳、纒向勝山古墳、ホケノ山古墳など、発生期の前方後円墳が集中して築かれている事実も大きい。
当地で発生した前方後円墳は「纒向型前方後円墳」と呼ばれ、前方部が短いホタテ貝に近い形。だが古墳時代中期の帆立式古墳とは異なり、全長・後円部・前方部の長さが3:2:1となる。以降、前方後円墳は王権の象徴となっていく。