環濠集落、そのルーツをたどる

近畿地方、特に奈良県には環濠集落という特殊な集落形態が見られる。山の辺の道にある竹内環濠集落や萱生(かよう)環濠集落、大和郡山市の稗田環濠集落などは、観光スポットとしても有名だ。

環濠集落は周囲に濠を巡らせた集落のこと。集落の規模は約250×250m、濠の幅は容易には渡れない約6~8mが標準。内部には20~30戸の家屋が建ち並び、中心に寺や神社を有する。一般的に濠の目的は、自衛のための防御機能だと考えられている。

しかし、そうとばかりは言えない環濠集落が見つかった。田原本町の「法貴寺遺跡」である。集落の一辺は約50m、濠の幅は2~3mと小規模で、これらが3~4区画集まってユニットを組んでいた。ひと区画には主屋敷と附属棟、田畑だったとみられる空き地があり、そのことから「環濠屋敷」とも呼ばれる。寺や神社もちゃんと存在する。1980年代前半以降、これらと同規模の環濠集落が近江や河内でも見つかった。

この濠の目的は灌漑用水を溜めることで、防御機能は時代の流れに対応して付加されていったものと考えられる。

では、環濠屋敷の発達したものが環濠集落なのか。この問いには明確な回答は出されていない。発達途中と思われる100m四方あたりの環濠集落が予想されてはいるが、部分的なな発掘調査しか行われていない。

やがて灌漑用水の確保は、技術の発達により濠から溜池へとシフトしていく。武装化の必要もなくなり、環濠集落は一部の地区のみを残して消え去ることになった。だが、町中に伸びるコンクリートの側溝や畑につながる灌漑水路が、実は環濠集落の濠の名残というものが少なくない。狭められ、形を変えつつも、人々の生活を支え続けていたのだ。

造られた当時に期待された最大の用途はすでに意味をなさなくなったが、人工とはいえ水面に映り込む家並みは美しく懐かしく、どこかほっとさせる。残された環濠集落の美しい景観を、次の世代へと伝えたいものだ。

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