古くから稲作が栄えた“田原本”界隈は、
古代の有力氏族・多氏や鏡作氏の拠点だった。
『古事記』の撰録者とされる太安万侶は、その多氏の一員。
一時は“古事記偽書”説がささやかれ、
安万侶の存在を疑問視する見解もあったが、
名が刻まれた墓誌の発見により、実在論はほぼ決定的となった。
東に三輪山、西に二上山、南に畝傍山をのぞむ贅沢なパノラマの中で、
『古事記』を片手に、偉人の故郷に親しもう。
周辺に数多く鎮座する多神社の若宮(御子神などを祀る社)の一社。『古事記』全三巻を撰録した太安万侶(おおのやすまろ)を祀る。多氏はこの安万侶の代に姓を「多」から「太」に改めたという。
住宅街に接していてなお鬱蒼と生い茂る樹木の中にある姿は、古く「樹森神社」と表記された過去を偲ばせる。学問の神である一方で、“コモリ”の読みが“子守り”へとつながり、安産信仰も育んだ。
1979年1月、奈良市此瀬町の茶畑から安万侶の墓が発見され話題となった。ここ多氏の地元では長らく、神社東方の興仁橋たもとの畑の中にある小さな塚「松の下古墳が墓だ」と伝えられていたが、こちらは遺品などを納めた「参り墓(塚)」だと考えられるという。近くに安万侶さんを感じたい、そんな氏子や子孫たちの願いが見えるようだ。
奈良盆地のほぼ中央に鎮座し、広大な社域を誇った大和屈指の大社。社伝によれば祭神は神八井耳命(かむやいみみのみこと)、初代・神武天皇こと神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)他二座。
命は神武天皇の第二皇子で、後に綏靖天皇となる弟とともに第一皇子による暗殺に立ち向かった。その後、弟に皇位を譲って自らは祭祀者になったと『古事記』『日本書紀』にある。皇室に縁深い多氏はこの命の末だ。
三輪山—多神社—二上山はほぼ東西一直線で、当神社は春・秋分の山頂からの日の出を拝する特別な位置にある。この地に弥生集落が開けたのも偶然ではないかもしれない。境内には、発掘品の一部や太安万侶関連資料を展示する資料館もある。
秦河勝(はたのかわかつ)は京都太秦・広隆寺建立でも知られる渡来人。本尊の千手観音像は聖徳太子より賜ったと縁起は伝える。
『日本書紀』皇極朝に描かれた、常世神を広めた大生部多(おおふべのおお)を討ち、世の乱れを見事に鎮めた河勝の活躍譚は印象深い。
弘法大師が築造したという阿字池には七不思議が伝わる。いずれから見ても地形が見渡せない、百日の干ばつでも水が枯れない、池中に藻やきぐさが生じない、木の葉が浮かばない、蛭が棲まない、蛙が鳴かない、池の水は田の水より少し軽い、とか。さて、何を意味しているのだろう。
古代の工人集団・鏡作部たちが住み着いた鏡作郷。鏡作坐天照御魂神社こと鏡作神社はこの“鏡制作の聖地”に鎮座する。祭神は鏡作氏の遠祖・石凝姥命(いしこりどめのみこと)、天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)、天糠戸命(あめのぬかどのみこと)の三座。当社は伊勢の神宮創祀と深い関わりがある。
崇神天皇の御代。天皇の大殿内に祭祀していた天照大神を「同床共殿堪え難く」、宮中より出すこととなったという。ここで『日本書紀』は大神を斎宮たる皇女に“託けた(つけた)”と書くが、社伝では天照大神そのものである三種の神器の一つ・八咫鏡(やたのかがみ)を出したとある。
やがて大神は伊勢へ鎮座。遷した神鏡に代わって新たな鏡を作ったのが、石凝姥命の子孫・鏡作部(氏)。完成した鏡は内侍所に納められ、試鋳された像鏡は天照国照彦火明命と称えられて同社に奉祀された。神社には神宝として「三神二獣鏡」が今も伝わる。
先の多神社と対になるように、この地では立冬・立春に三輪山から二上山へと移動する日が拝せたという。残念ながら今は住宅事情で見ることはできない。ここから北西へ約1.5kmの石見地区にも鏡作神社があり、そちらは夏至・冬至の観測点であるようだ。
かつての鏡作郷には“鏡作”を冠した神社がいくつもある。 二カ所を数える伊多神社の祭神は石凝姥命。説は様々だか、「伊多」は「鋳た」もしくは鋳形の中で凝り固まった状態を指す「板」と推測されている。麻毛神社の祭神は石凝姥命の祖神・天糠戸命。『日本書紀』の一書ではこの天糠戸命が鏡を作ったとし、「麻毛」は「磨け」につながるという。鏡を鋳造する地区、磨く地区。語源が示すのは、効率よく分担されていた作業工程ではないだろうか。
いずれも小社だが由緒正しき式内社。周辺に残る環濠集落の散策もかねて寄り道してみては。
遺跡面積は約42ヘクタール、100年以上も調査が続けられている、近畿の弥生時代最大級の集落跡「唐古・鍵遺跡」の出土品を中心に展示する。大型建物跡の発掘現場の復元やジオラマなど立体的な展示は見ものだ。絵画土器片などから古代の“マツリ”を再現、さまざまな道具類から弥生の暮らしを鮮明にするなど、謎多き時代に光を当てる。
さらに1万年にわたる田原本の歴史も豊富な考古資料で解説。古墳時代の埴輪には個性的・特徴的なものが多く、素晴らしい。唐古・鍵遺跡関連の資料、その他発掘関係資料等がそろう図書館も併設されており、より深く学ぶこともできる。
高さ12.5m、優美な復元楼閣が建つ遺跡現地はミュージアムから1kmほど北にある。