高天原エリアは、その名のとおり、
天上の神々の世界を想わせる神秘的な場所。
興味深い伝承を残す神さびた古社がたたずみ、
どこか凛とした空気が漂う、歴史ファンにはたまらない
まさに神話のふるさとだ。
葛城古道を訪ね、
「記紀」に描かれし神々の姿を探してみたい。
バス停より登り坂を上がると、金剛山の裾野に広がる、美しい田園風景が飛び込んでくる。そこから住宅のある細い道を抜け、風の森峠の頂に立つ神社に着く。
社殿はなく、祠だけがある簡素な佇まい。しかし、まるで祠をお守りしているかのように木々が生い茂り、時折風が吹き渡る。ここには『古事記』『日本書紀』にて風の神として記される志那都比古神(しなつひこのかみ。『日本書紀』では「級長津彦命」と表記)を祀る。
この地は、日本の水稲栽培の発祥と伝わる場所。五穀豊穣のほか、金剛山麓から吹く風の通り道となっているため、風水害から守る稲作の神としても信心されてきた。現在も豊かな水田風景が広がり、古の時代から変わらぬ守り神として地元の人々に信仰されている。
全国の加茂(賀茂・鴨)社の元宮で通称・上鴨社。奈良盆地から吉野の山野まで一望できる金剛山麓のこの地は、古代豪族・鴨族発祥の地だという。
『延喜式』には「高鴨神社四座」とあり、阿遅志貴高日子根命(あぢしきたかひこねのみこと)他を祀る。大国主命の御子で、迦毛(かも)大御神と呼ばれたと『古事記』につづられる。『古事記』で“大御神”と称されるのは天照大御神、伊邪那岐大御神の三神のみ。それゆえ平安遷都後も朝廷の尊崇は高かった。
『古事記』『日本書紀』には、阿遅志貴高日子根命が高天原からの反矢(かえしや)により落命した天稚彦命(あめのわかひこのみこと)の喪を弔う逸話がある。「その時この神の容貌(かおかたち)は、天稚彦の生前の容貌そのままで、親族妻子はみな我が君が生きておられたと泣いてすがった」という。当祭神は「死した神をも甦らせる」再生復活の神として信仰されていた。この不思議な話は、そのご神徳を語るものだと注目されている。
地元では「いちごんさん」と呼ばれ、一言のみ願い事を叶えてくれると親しまれている。祭神は、一言主大神と大泊瀬幼武尊(おおはつせわかたけるのみこと。雄略天皇)。
『古事記』によれば、雄略天皇が葛城山で狩りをしている時に天皇と同じ姿の者が現れ、天皇が何者かと問えば「私は善事も悪事も一言で言い放つ神である」と言ったとある。それが一言主大神だ。天皇は無礼を詫びて衣服を献上したという。しかし『続日本紀』では一変し、雄略天皇と狩りの際にいさかいを起こして一言主大神は四国の土佐に流されたとなっている。ほかに『土佐風土記』や『今昔物語』にも登場し、さまざまな伝承を残している。