『始まり』を宿す、三輪山の麓へ ルート概要
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『始まり』を宿す、三輪山の麓へ マップ

『古事記』『日本書紀』にその名の記載がある山の辺の道。
奈良盆地の東側、山々の裾に連なるこの古道には、
古墳や古社寺、旧跡などが数多く点在し、
古代から続く文化や歴史、宗教など、
あらゆるものの“始まり”が集まっている。
神聖視されてきた神奈備・三輪山に抱かれ、
古代ロマンに満ちあふれたこの地に、足を踏み入れる。

桜井駅から歩いて約20分、急に視界が開ける。三輪山をはじめ雄大な山々が連なり、目の前には初瀬川(大和川の上流域)が流れ、広い堤防が現れる。

古代、初瀬川畔のこの辺り一帯には「海柘榴市(つばいち)」と呼ばれる、我が国最初の大きな市があったとされる。河内の難波津(なにわつ)からの船の終着地であり、陸の交通の要衝でもあったことから多くの物資が集まり、交易の中心として栄えたそうだ。朝廷と交渉を持つ外国の使節が利用する外港でもあり、遣隋使の小野妹子が帰国した地ともされる。

この辺りは欽明天皇の宮殿、磯城嶋金刺宮(しきしまのかなさしのみや)があった場所とされる地。『日本書紀』には欽明天皇13(552)年(※538年の説も)、百済(くだら)の聖明王の使者が、この地に釈迦仏の金銅像や経典をもたらしたと記されており、日本に初めて仏教が伝来した地としても知られる。

  • 桜井市金屋
  • 自由

「仏教伝来之地」碑より、町家が並ぶ道を抜けると、ベンチを置く休憩スポットがある。そのすぐ背後に石仏の納められた鉄筋の収蔵庫が立つ。

中には、高さ約2m、幅約80cm、厚さ約20cmの凝灰岩に彫られた2体の石仏があり、右が釈迦如来像、左が弥勒菩薩像と推定される。制作年代は断定されていないが、平安初期から鎌倉時代の作だといわれている。いずれも国指定の重要文化財だ。また、彫られている石は、古墳時代の石棺ではないかとみられる。もとは平等寺にあったが、明治の廃仏毀釈によって移された。格子戸越しに拝観することができる。

  • 桜井市金屋
  • 0744-42-9111(桜井市観光課)
  • 自由

この辺りは朝廷直轄地だった大和六県の一つ・磯城県と呼ばれた地。『古事記』『日本書紀』に登場し、第10代天皇・崇神天皇(すじんてんのう)の宮跡と伝えられている。その場所にひっそりとたたずむのが志貴御県坐神社(しきのみあがたますじんじゃ)だ。木々に覆われこじんまりとした境内には拝殿、そして「崇神天皇磯城瑞籬宮跡」の石碑が立つ。

ここは、背後に三輪山を負い、東には伊勢、さらに東国、南には飛鳥、そして紀伊、北には奈良、京を経て北陸と日本海、西には難波(なにわ)と、主要な地へとつながる交通の要衝であった。古代の大和では王朝の発展へとつながる重要な立地だったのだ。

  • 桜井市金屋896
  • 0744-42-9111(桜井市観光課)
  • 自由

いよいよ、ここから木々が生い茂る山裾の狭い道に入る。いかにも古道といった雰囲気に志気が上がる。土の感触を感じながら進むと、Uピンのようなカーブがあり、その先が平等寺だ。

縁起によると581年、平和を祈願する霊場として聖徳太子が開基したと伝わる「大三輪寺」が前身。鎌倉時代初期に慶円上人によって平等寺と改められた。

奈良時代、神仏習合のもと神社に神宮寺が建てられ、平等寺は大神神社の神宮寺として隆盛を極めた。再建後は修験道の道場として栄える。明治の廃仏毀釈によって多くの伽藍が壊され、61体に及ぶ仏像が他所に運び出され廃寺となったが、廃仏毀釈から100年後の1977年に寺号が復興され、1987年に本堂、鐘楼、鎮守堂が再建された。

  • 桜井市三輪38
  • 0744-42-6033
  • 自由

古来、人々は岩や川、山、海といった自然を崇拝していた。日本最古の神社といわれる大神神社は、円錐形の三輪山をご神体とする。三輪山は神が鎮座する山とされ、「記紀」に御諸山(みもろやま)、美和山(みわやま)、三諸岳(みもろのおか)とも記される。

『日本書紀』によると、大己貴神(おおなむちのかみ)(大国主神(おおくにぬしのかみ))の幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)が大物主神(おおものぬしのかみ)であり、その御名をもって祀られたのが始まりという。『古事記』には、この神を祀って初めて国造が成ったとある。

三輪山には神が降臨する場所である磐座(いわくら)(神の御座所)が数か所あるとされている。人々は古来より基層信仰である山岳信仰を行ってきた。よって本殿はなく、拝殿の奥にある三ツ鳥居を通して三輪山を拝する。原初の神祀りを今に受け継いでいるのだ。

大正7(1918)年に、古墳時代の祭祀遺跡が出土し、三輪山の祭祀を知る重要な手掛かりとなった。なかでも、三輪山の辺津磐座(へついわくら)群の一つである山の神祭祀遺跡は著名で、素文鏡や曲玉など祭祀に関わる遺物が出土し、その一部を境内の宝物収蔵庫で展示している。

大鳥居で知られる大神神社だが、山の辺の道のルートでは鳥居は通らず、拝殿の脇から入ることになる。最近ではパワースポットとしても注目を集める。

  • 桜井市三輪1422
  • 0744-42-6633
  • 自由。宝物収蔵庫は9:30~15:30
  • なし。宝物収蔵庫は入館200円
  • なし。宝物収蔵庫は毎月1日、土・日曜、祝日、1/1~8のみ開館

大神神社の境内から、薬草などが植栽された“くすり道”を通り、大神神社の摂社である狭井神社へ。延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)に記される古社で、主神として大神荒魂神(おおみわのあらみたまのかみ)を祀る。病気平癒の神として信仰を集め、拝殿奥にある薬井戸には万病に効くと伝わる薬水が湧き出る。自由に飲むことができ、この水を求めて遠方から訪れる参拝客も多い。

境内には、神が宿る山ゆえ、古来から足を踏み入れることが禁じられてきたご神体の三輪山への入山登拝口がある。明治以降、入山者に対する禁約を作成し、現在はそれを守る条件で、社務所にて申し込むと登拝できる。

毎年4/18には“くすりまつり”としても知られる鎮花祭(はなしづめのまつり)が行われる。

  • 桜井市三輪1422
  • 0744-42-6033(大神神社)
  • 自由。登拝は9:00~14:00
  • 登拝は入山300円
  • 1/1~3、2/17、4/9、4/18、10/24、11/23は入山禁止

狭井神社からすぐ。階段を上っていくと展望台に到着する。眼下には大和平野が、正面には大和三山や二上山、葛城山、金剛山が見渡せ、素晴らしい景観が楽しめる。後ろを振り向けば三輪山がそびえ、大パノラマで大和の風景を一人占めできるポイントだ。古の人々もここから山々が連なる風景を見たのかと思うと感慨深い。ベンチがあるので休憩するにもうってつけ。吹き抜ける風を感じながら、信仰の原初や歴史について思いを馳せるのもいい。

  • 桜井市三輪1422
  • 0744-42-6033(大神神社)
  • 自由

大美和の杜展望台からは地道が続き、梅林の横や、木々に覆われた山道、人ひとり通るのがやっとの細い登り坂など、変化に富んだ楽しい道のりだ。

二股に分かれた道を右へ進むと、平安初期に玄賓僧都が隠棲していた庵に着く。玄賓(げんぴん)僧都は、興福寺の起源である山階寺(やましなでら)の僧。桓武・嵯峨天皇から厚い信任を得ていたが俗事を嫌い、桓武天皇の律師を辞退して三輪山の桧原谷に庵を結んで隠棲した。山岳仏教の寺として栄えたが、その後荒廃。明治時代の神仏分離の折に現在の地へ移された。

草堂には玄賓僧都像や、国の重要文化財に指定される不動明王座像を安置する。

世阿弥作の謡曲「三輪」はこの玄賓僧都と三輪明神の物語だ。

  • 桜井市茅原373
  • 0744-42-6447
  • 10:00~15:00
  • 志納

うす暗い山裾の道を進み、ゆるやかな坂道を登ると目の前から光が差し、眺望が開ける。神社の境内はキリッとした空気が流れ、自然と背筋が伸びる。

崇神天皇6年、宮中内に同床共殿(どうしょうきょうでん)で祀られていた天照大神(あまてらすおおみかみ)を、笠縫邑(かさぬいむら)にうつして磯城神籬(しきひもろぎ)を立て、豊鍬入姫命(とよすきいりのみこと)に奉斎させたと『日本書紀』に記されている。檜原神社はその伝承地だ。その後、伊勢へ遷幸された後も天照大神を引き続き祀るため、元伊勢と称される。

大神神社の摂社であり、本殿を持たず三輪特有の三ツ鳥居の前で拝する。

境内からは、注連縄越しに大和平野や二上山の姿が美しく望める。

  • 桜井市三輪
  • 0744-42-6033(大神神社)
  • 自由

山から離れ、平野部へ。あぜ道を進んで住宅地まで降りる。そこに古墳時代初頭の纒向型といわれる前方後円墳が出現する。

1999(平成11)年から奈良県立橿原考古学研究所と桜井市教育委員会によって調査が始められ、2006(平成18)年に纒向古墳群の一つとして国の史跡に指定された。全長は約80m。周囲に周濠がめぐらされていた。

後円部中央に設けられていたのは、国内で初めて確認された特殊な構造の埋葬施設「石囲い木槨」。内部には長さ約5mの高野槇製の刳抜式木棺が納められていた。

古墳時代前期の前方後円墳と共通する点以外に、弥生時代の大型墳丘墓の要素が見られ、箸墓古墳よりも古い3世紀中期に築造されたとする意見もある。邪馬台国の卑弥呼と同時代だけに注目を集めている。

  • 桜井市箸中字ホケノ山
  • 0744-42-9111(桜井市観光課)
  • 自由

ホケノ山古墳とは違い、こちらはこんもりとした森が鎮座するような、存在感のある大きさ。全長約280mの前方後円墳だ。定型化した大型前方後円墳としては最古式とみなされる。特殊器台と呼ばれる円筒埴輪の起源となる焼物が出土した。これは弥生時代に吉備地域(岡山県)で発達したものである。

『日本書紀』には、第7代孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)(『古事記』では夜麻登登母母曾毘売命(やまととももそびめのみこと)として登場)が箸墓に葬られたことが記されている。「崇神紀」では、大物主神の妻となった倭迹迹日百襲姫命が、実は夫が白い蛇だったということを知り、驚いて尻もちをついたところ箸で陰部を突き刺してしまい死去したとされる。ゆえに「箸」墓と呼ばれるとか。昼間は人が造り、夜は神が造ったとの伝承が残る。

一皇女の墓にしては立派すぎるとのことから、卑弥呼の墓ではないかという説も多いが、果たして。この場所に立ち、五感を研ぎ澄まして、ミステリアスな想像を膨らませてみるのも一興だ。

  • 桜井市箸中
  • 0744-42-9111(桜井市観光課)
国づくりの源流「飛鳥京」
~奈良の三都物語①~
日本初の本格都城「藤原京」
~奈良の三都物語②~
天平文化のど真ん中「平城京」
~奈良の三都物語③~
陵墓の位置に現れた皇統意識
~天智系と天武系~
地上に降り立った“照り輝く”太陽神
~鏡作神社・原宮司に聞く
橿原宮周辺に伝承残す、
多氏始祖の謎
環濠集落、そのルーツをたどる
~田原本町「法貴寺遺跡」~
光明皇后より口伝で受け継ぐ、精進念仏の結晶
~法華寺のお守り犬~
切れ味を甦らせる指先
~田原やま里博物館①~
日本茶の奥深さを伝える~田原やま里博物館②~
奈良晒の伝統を守り継ぐ~田原やま里博物館③~
「やすまろさんや!」
~太安万侶墓、発見のエピソード①~
「これはえらいことになる…」
~太安万侶墓、発見のエピソード②~
謎とロマンが語り継がれる金剛山麓
~高鴨神社・鈴鹿宮司に聞く~
考古学調査が解明する
大豪族・葛城氏
お年玉の起源は
葛城山麓の古社にあり!?
纏向遺跡で迎えた、
古墳時代の夜明け
人に振る舞われた、
大物主の恵みし神酒
万葉人のグルメはどんな味?
宮滝式土器から見えてくる、縄文・弥生時代の暮らし
~吉野歴史資料館・ 池田館長に聞く①~
昔時の姿を重ね見る、歴代天皇が愛した神仙境
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時代の変遷が生んだ、都への想い
~歌に表れた万葉人の距離感~
ベテランが指南する恋の必勝法
~奈良時代のプロポーズ①~
名をあかすは、夫婦のしるし
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天照大神がたどった
神宮の候補地・元伊勢
二つの顔を持つ男、不比等
~県立図書情報館・千田館長に聞く①~
不比等が仕組んだ、華麗なるパワーゲーム
~県立図書情報館・千田館長に聞く②~