陸路も水路も交錯した交通の要・海柘榴市から
石上神宮を過ぎ、木津川へと続く山の辺の道。
中でも神の坐ます三輪山の裾野を、
大神神社の摂末社をつなぐよう巡るこのルートには、
名高い歌が数多く残される。神話や伝承と美しく絡まった作品は、
自然に満ちた上古の道にいにしえ人の喜怒哀楽を映し出す。
込められた思いを胸に、
彼らが見ただろう景色を探してみよう。
道の交わる辻にたった古代の市場。桑や橘といった、シンボルとなる神樹の下で物が交換され、恋を謳歌する歌垣の舞台ともなった。椿咲く海柘榴市は、まさに“歌垣”にふさわしい場といえる。
①「紫染めには椿の灰を入れるもの。その椿のある海柘榴市で出会った乙女、あなたは誰?」と問われ②「名を教えてもいいけど、すれ違っただけのどこの誰かもわからない方に何と言えばいいかしら」とかわす。歌垣で名を問うのは求婚を意味し、答えれば承諾。とはいえ、この作者不詳の歌のように女性は一度ははぐらかすのが常だったよう。時代は変わっても乙女心は複雑だ。
求婚の場でもあった歌垣は春の予祝行事として遊楽化され、男女が山に集う「山遊び」などへとつながった。「国見」もこうした農耕儀礼の一つ。大王や国の長が高い所に登って人々の暮らしぶりを望み見たという。
万葉集全20巻の巻頭を飾るのは、そんな一場面が浮かぶ雄略天皇の歌。③「良い籠に良いへらを持ってこの岡で若菜を摘む娘よ、あなたの家と名を教えてほしい。大和の国はことごとく私が治め、支配しているんだ」と声をかけ、自信たっぷりに「まず私から名乗ろう」と締めくくる。乙女たちは美を競って、この行事で見染められるのを待ちわびたのだろう。
④「三輪山よ、奈良の山に隠れてしまうまで十分に見続けていたいのに、心なく雲が隠してしまってよいものだろうか」。⑤反歌「三輪山をどうして隠すのか。せめて雲だけでも思いやりがあってほしい」。山城との国境で大和を望み見た額田王の歌といわれる。
都が飛鳥から近江へと遷るその時。故郷への惜別の情と新天地への思いは、大和の守護神・三輪山が遠ざかるごとに大きくなったに違いない。歌に答えて、神は新都へ向かう民の前途を祝しただろう。三輪山のお膝元の山辺の道で味わうのは少し場違いなのだが、秀麗な姿を見上げればついこの歌が浮かぶ。
三輪山を直接拝するため本殿をもたない大神神社。禁足地の山中には磐座群が残され、古い神祀りのあり方を今に残す。『古事記』『日本書紀』にもっとも早く祭祀が整えられた神社の一つとして描かれ、また数々の神婚譚でも有名。その逸話の中に「酒の神」となった経緯がある。
崇神天皇に祭神・大物主大神の掌酒(さかびと)に任命された活日(いくひ)は神酒を捧げる。そして、⑥「この神酒は私が醸したのではなく、大和の国を造られた大物主神が醸造された酒です」と歌った。以来、大神は酒の神として信仰され、「味酒」は三輪の枕詞になったという。拝殿左手には杜氏の祖神として活日神社が祀られる。
季節の花が揺れる丘に作られた公園で、中でも桜に覆われる春は素晴らしい。展望台からは大和三山から二上山、金剛・葛城山系まで見渡せ、「たたなづく青垣 山ごもれる大和」が堪能できる。
平穏な景色は、大和三山の争いで破られたことがあるそうだ。⑦「香具山は畝傍山をめぐって耳梨山と争った。神代からこうだったからこそ、今も一人の愛を争うのだろう」。⑧反歌「香具山と耳梨山が妻を争った時、阿菩(あぼ)の大神が見に来たという印南の国原よ」。阿菩大神は出雲国の神。このエピソードは『播磨国風土記』に載っている。
中大兄皇子(天智天皇)の歌と聞けば、額田王をはさんでの弟・大海人皇子との確執がつい浮かぶ。
三輪山から流れる狭井川。笹百合(さゐ草)が咲き誇っていたとされる辺りは、神武天皇が皇后となった比売多多良伊須気余理比売命(ひめたたらいすけよりひめのみこと)と出会った場だ。そんな思い出の地について、比売は不吉な歌を読んでいる。⑨「狭井川の方から雲が渡り、畝傍山で木々がざわめいていてる。ひどい風の起きる前触れです」と。
これは皇位を手に入れようとする庶子の企みを知った比売が、自分の皇子たちに変事を知らせようと歌ったものと『古事記』は語る。後『古事記』『日本書紀』はともに、苦難を越えて即位した綏靖天皇を称えた。母の機転が勝敗を決したのだ。
巻向のあたりに妻を住まわせていたのだろうか。柿本人麻呂には檜原や巻向を詠んだものが多い。
⑩「昔の人も、三輪の檜原で髪に挿すため枝を折ったのだろう」、⑪「流れる川のように去って行った人(亡くなった人)が手折らなかったので、寂しそうに立っている。三輪の檜原は」。
人目を忍ぶ籠り妻の元へと通った日々。人麻呂歌集に収録されたこの二首も、忘れ得ぬ思い出を詠んだ作品なのかもしれない。
檜原神社は元伊勢・笠縫邑の伝承が残る大神神社末社。社殿はなく、ただ斎庭が広がるのみだ。
⑫「大和は素晴らしい国。青々とした山並みに囲まれた故郷は、本当に美しい」。東征の折、能褒野(のぼの)で力尽きる前に詠んだ日本武尊の歌は、『古事記』に刻まれた作品の中でもひと際人の心を揺さぶる。そうして尊の魂は白鳥となって大和を目指したという。
胸に抱き続けた懐かしい故郷。たとえ幻とはいえ、最後の瞬間にその情景が目の前に浮かんでいたのだとしたら、漂白の生涯を送った尊へのせめてもの慰めになったと思いたい。
檜原神社を出れば西に奈良盆地、振り返れば神奈備・三輪山。尊が焦がれた風景が今に残る。