持統天皇により遷都された藤原宮は、
多くの歌人に愛された
畝傍山、耳成山、香久山の大和三山に囲まれし場所。
なかでも香久山は神聖なる“天”の香久山として崇められ尊ばれてきた。
数多く詠まれ愛されてきた、
その穏やかな姿を間近に望みながら、
柿本人麻呂や持統天皇ら歌人が愛でた情景を探し求めたい。
680(天武9)年、天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈念して発願。当時は、金堂や東・西塔、講堂などを備えた壮麗な寺で、現在の奈良市の薬師寺とほぼ同様の規模を誇った。その独特の伽藍配置は薬師寺式と呼ばれる。東に香久山、西に畝傍山を擁し、二山を結ぶ線上に立つ寺跡の前に、作家・黒岩重吾が揮毫した大伴旅人の歌碑がある。
①「忘れ草を自分の紐につける。香具山のあの懐かしい故郷を忘れるために」。当時、一部では忘れ草を身につけることで、忘れたいことを忘れられると思われていたという。大伴旅人は老齢になってから大宰帥になり、九州・大宰府へ赴任。不安が大きかったのかもしれない。ともに連れていった妻が大宰府で先立ったことも関係しているだろう。故郷の香具山をもう一度見ることはないのだろうか、いっそ故郷の景色を忘れてしまいたい…。望郷の念からくる切ない感情がまざまざと伝わる。
大和三山の一つである香久山(『古事記』『日本書紀』『万葉集』では「香具山」などと表記)は、標高約152mで、三山の中でもっともなだらかな稜線を描く。古代から「天」をつけて呼称されるほど、神聖視されてきた。
国をほめたたえ、豊作を祈念する「国見」を香久山で行った歌が万葉集に残る。香久山の上からは大和の国が広く見渡せたであろう。
舒明天皇は、②「大和には山が連なっているけれど、とりわけて立派な香具山に登り、その頂に立って国見をすると、広い平原には一面に炊煙が立っている。広い水面には鷗が多く飛び立っている。美しい国よ、蜻蛉島大和の国は」。ここから海は見えないが、天皇は香久山に立ち、大和だけではなく、日本全体を見ていたのかもしれない。
ところで、香久山と耳成山、畝傍山はそれぞれ男女に例えられることがある。万葉集には、大和三山が神代に恋争いをしたという歌があるが、これは中大兄皇子と弟の大海人皇子との額田王をめぐる恋争いを、大和三山に託したもの、という説もある。
『延喜式』神名帳に式内大社として登載される古社。本殿の背後に巨石があり、磐座(いわくら)として祀られている。香久山の裾に位置し、下山口よりそのまま境内に入ることができる。
香久山は『伊予国風土記』逸文によると、天から降ってできたという伝承が残る。ゆえに天の香具山といわれるようになった。万葉集の中でも「天の」「天にある」という意の複合語がつくのは香久山だけ。特別視されていたことがわかる。
それゆえ、香久山を称えた歌は数多い。③「昔のことは知らないけれど、私が見るようになってからでさえ随分と年月が経った。聖なる香具山よ」。作者不詳だが、神聖な山を身近な存在として感じていたことがうかがえる。
694(持統天皇8)年、飛鳥の地から遷都した藤原京。大和三山に囲まれた場所に宮を据え、中国・朝鮮の都城をモデルとして造られた、わが国最初で最大の本格的な都城である。
藤原宮をことほいだ歌がある。⑤「八方を治める天皇、高く照らしている日の御子。荒布の藤井の原に新しい朝廷をお作りになり、埴安の堤の上にお立ちになってご覧になると、大和の青々とした香具山は、東の御門の方に春の山とてうっそうと繁茂した姿を見せている。畝傍の瑞々しい山は西の御門の方に瑞祥としての山の姿を見せている。耳成山の青々と菅の生えた山は北の御門の方に宜しい様子に神々しく立っている。名もよい吉野の山は南の方の御門から雲のかなたに遠く立っている。高々と統治なさる、この大殿。天高く支配なさる日の大宮よ、井の水はいつまでも湧き出ることであろう。御井の清水よ」。
四方から山に抱かれた都を称え、そして御井の水が永遠に湧き出ることを願い、藤原宮を称えている。
⑥「春が過ぎて夏が来たらしい。白い衣を香具山に干してあるのを見ると」。藤原宮にて香久山を眺めながら持統天皇が詠んだ歌のようだ。白い衣に初夏を感じた、さわやかな歌だ。この歌は『小倉百人一首』にもあるが、句の一部が「夏来にけらし」「衣ほすてふ」と新古今調になっている。万葉集では、持統天皇が実際に目にした光景を率直にうたっているが、伝聞されるなかで、時代に伴って言葉が変化してしまったのかもしれない。山部赤人の「田児の浦ゆうち出でて見れば真白にそ不尽の高嶺に雪は降りける」(万葉集巻3-318)も同じく原文と違う箇所がある。
わずか16年で廃都となってしまった藤原京。時の歌人たちが歌に詠んだ、華やかなりし往時の情景が目に浮かんできそうだ。
奈良文化財研究所都城発掘調査部(飛鳥・藤原地区)が行ってきた飛鳥・藤原地域に残る遺跡の発掘調査をもとに、藤原京と藤原宮について紹介する資料室。
土器や金属器、木簡などの出土遺物や、本格的な都である藤原京の復元模型をはじめ、食事や生活スタイルなどからみる都に住む人々の暮らしや、地下に埋もれた藤原京を発掘していく過程などを、資料やパネル、ジオラマなどを使ってわかりやすく展示している。藤原京の再現映像をCGで紹介するコーナーもあり、楽しみながら藤原京・宮のことが学べる。